イエスの方舟


という、集まりの話。


これ、興味ないとホントにつまんないのでスルー大歓迎の記事です。



「イエスの方舟(はこぶね)」。

これが今でいうワイドショー的なメディアを湧かせたのは、私が小学生の頃らしい。


簡単にいえば「中年男が若くて綺麗な女性たちを集めて、宗教のようなことをしながら集団生活を送っている」。

家を出てその集団生活から帰ってこない娘たちの親が、やれ「拉致された」「監禁された」と騒ぎ立てたので、当時のマスコミの格好の餌となっていたという。


その後もたまに耳にしたことがあっても、「カルト集団」「セックス教団」みたいな嘲笑じみた話にされていることが多く、私もそんなに興味を持つこともなかった。


近年になって私も手軽にインターネットで情報を入れることが当たり前となってきた頃、何かの特集かテレビだったか出所は忘れてしまったけれど、「実は『イエスの方舟』は、世間で云われているような集まりではなかった」というような話も、耳に入っていて頭の片隅にあった。


先月、隔週日曜深夜にやっているTBSのドキュメンタリー「解放区」を、家人が撮っていて、そのままテレビのHDに撮り貯め一覧に入っていた(興味のあるものを互いに撮っておいて、思い出したときに観る夫婦)のを再生した。

この日は「方舟にのって~イエスの方舟44年目の真実」というプログラム。


観ていて食い入るようにガン見してた。


「イエスの方舟」という集団は、聖書を読みその教えを考えそれに沿って生きていく集団生活を送っている人たち。

今も尚、福岡で自分たちの共有名義で買った土地に同名の飲食店を建てて経営しながら、手段生活を続けている。

この店も面白い。飲み屋でもあるから客には当然のようにアルコールを提供するが、女性たちは一切飲まない。客側も「一般的なキャバクラなんかは『女』を売るけれど、ここは違う。話して楽しみに来ているだけ」という常連ばかり。みんな笑顔で。


共同生活している家も、共有名義の土地に、2001年に亡くなったこの団体の主宰者である千石イエスが、大工の経験を活かして自ら建てた戸建ての家だ。


昨今、社会を賑わせている某カルト集団や、カルトとまだ呼ばれていなくても、宗教に興味のない私からすれば胡散臭そうな新興宗教が大なり小なりが誰もの生活圏内や身近に結構ある。

ウチの近くでいえば20㎞圏内には、そこの本部とする城のような巨大建築物を始めとした大きな建物を幾つも点在させ、隣接する大学と入り組むように広大な土地を持つ新興宗教がある。

車でたまたま通りかかった場所の住宅地に「〇〇教」と書かれた看板掲げてる家とかも見かけること多々あるしね。

そんな宗教とされる団体の殆どや、そこらへんの神社仏閣も、この国では「宗教法人」。

税金とかいろいろと優遇される文科省認定の法人格。


このイエスの方舟という団体は、宗教法人格を取っていないということにも驚いた。

そして、団体の中で「おっちゃん」と呼ばれていた千石氏も、よくある宗教の「私こそが神だ!」「メシアだ」「神の生まれ変わりだ」なんてのは一切なくて、あくまでも皆で聖書を読み解きその教えに生きるだけだったという。




じゃあなんで、年頃の娘たちばかりがそこに集まっていたのか、だが。

千石氏は妻と娘と自分たちに賛同して生活を共にする人たちとの集団生活をし聖書を読み、食い扶持は刃物研ぎなんかの訪問販売などがメインだったという。

そこで聖書の話をしたりするうちに、賛同者が増えていったという。

若い女性たちを挙ってターゲットとしていたのかどうかは知らないが、「家に居づらい」「家から出たい」「親と合わない」「生きづらい」という、今でも若い層が抱える問題で行き詰っていた女性たちの賛同・参加の結果だという。

たくさんの若い女性と「おっちゃん」という形になると、傍からはどんなスケベ心がなくともやはり「洗脳して手籠めにする」なんて構図が生まれるのが当然で。

でも、実際は違うという。

この団体の決まりには「恋愛は自由、結婚するならここでの共同生活は終えること」らしい。


70年代後半の当時からずっとここで共同生活している女性たち皆に、インタビューがあった。


中には、実の両親も当初は共にここで共同生活していたけれど、親は離婚したのかそれぞれ別にここから離れていったけれど、幼い自分はここから出たくなかったから、千石夫妻の養女になったという人も居た。親のどちらにもついて行きたくなかったという。


千石氏を「誘拐だ」と訴えた両親の元へ自ら戻って、親に説得を試みて、それでも納得はさせられなかったけれど親元より共同生活のほうが自分らしく生きられるのだと伝えて戻ってきたという人も居た。


ここの女性たち、下は私と同じくらいで殆どはそれ以上、母親世代も居る。

皆が、昔の写真と並ぶように現在の姿で話しているんだけど、いい笑顔で身なりも綺麗にされている。昔から変わらない。


共同生活当初は男性も数人居たけれど、結局残ったのは当時の若かった女性がメインとなったようだ。


昔と変わったのは、「おっちゃん」こと千石イエスが亡くなり、今はその妻・千石まさ子氏が「おっちゃん」と呼ばれていること。女性です。

千石夫妻=「おっちゃん」とは、皆をまとめたり、話を訊いて話し合って納得させる役割の人のようだった。

決して崇め奉らせたり、命令したり、従属させていたのではないことが、女性たちの言葉の端々からよく解った。

夫妻の実の娘も「おっちゃん」呼ばわりで親を呼んでいたのも、皆が平等であるためなのか。

その実娘も実の親子でも一般的なそれとは違う形は寂しくなかったのか?との問いに、「全然寂しくはなかった」。


宗教法人化しなかったことも含め、この団体を次の世代に繋ぐなどは考えていないという。

今も全国にはこの団体に所属している女性は20人近く居るというが、皆が年を取っていき、支持する常連客達も年を経ていっている。

財産を誰かに残すとか、形を残すとか、そんなことに重きは全然置いていない。

ただただ自分の生き方も存在意義も聖書の中で見つけた人たちが集まって、矛盾も疑問もいつもおっちゃんたちと解決して納得して、彼女たちそれぞれが「これがいい」と思える日々を重ねてきただけのことなんだろうと、思う。

そしてそれが、本来の宗教というか、聖書(私は読んだことないけど)の意義なのではないかと思った。


もちろん、人間全部が全部、そのような集まりや生き方に満足するとは思っていない。

たまたま、それを掲げていた千石イエスに同調した人たちの小さな集まりにしか過ぎないと思う。

そしてこの団体の女性たちはみんな、穏やかな笑顔で微笑みながら話す姿が、今も納得の日々を送っているのだろうと思った。



千石イエスという人に、すごく興味を持った。


本名は千石剛賢。大熊座の月王星

現「おっちゃん」の まさ子氏とは再婚。前妻との間にも子供は居たという(詳細不明)。


若い頃から仕事は長続きせず転々とし「常に何かに飢え、何かに怒っていた 」。

自分の短気さに「いつか傷害事件を起こして死刑になるのではないかと怯えていた」。(wikiより)

でも常に教会には通い、聖書を読んでいたという。


作り上げた(勝手に出来上がったのかな)方舟は、おっちゃんの望む形だったのだろうか。

でもきっと、大熊座の月王ならば、あまり欲張る性質ではないし。金儲けや色情に走ったのではないとは思う。

本来なら、1人でも誰かの何かになれればいいと願う人だと思うから、そういう面では何十人もの女性たちがおっちゃんの考えに同意し、一緒に生活することを望み、一緒に聖書をずっと読み続けたんだから願いはきっと、叶っていたんだと思う。


そして、大熊座の月王らしい、宗教法人化させずに自分たちで商売してそれで生活していくだけの生活。布教活動とか表立って何かをするでなく、自分たちが間違ったことをしていなければそれが正義とする姿勢。

執着なく、自分たちより後の世代に何かを継ごうとはしていかないのもとても同意できるよ。


昔、おっちゃんのドラマ化でおっちゃんを演じたのがビートたけし。

たまたまの偶然だけど彼も同じだね、大熊座の月王星。

私も同じだよ。だから、おっちゃんの若い頃からの気持ちに共感できる部分が多かった。


たまーに見つけられる、支配星:魚王星の尊敬できる人。

解りやすく万人に褒められることをするような偉人ではなくて、ほんの少しでも誰かに安心と幸福感を与えられて、心に残される人のほうが私は身近に感じられて、憧れる。


通じない人も居るし、常識からは外れているとしか思われない形だから、理解はされずに誤解されたままなのかもしれない。

でも、おっちゃんは一度も逮捕されていないし、女性たちは今も本当に、いい顔をしているんだよなあ。満足そうな。

それがすべてだと思うけど。



おっちゃん、生きてたら今日は100歳の誕生日だ。

おめでとう。


























* 吾 唯 知 足 *0学講師・鑑定士 志野令教(しのれいきょう)の個人的綴り。

0学鑑定士・講師の志野令教です 人にはどうでもいいであろう 私の日々の綴りのみ 0学を教えたり 鑑定したりしております***