0地点年 0地点月にて。
今日もよい天気です。
今の時期くらいから、茨城や福島の山のほうをドライブすると、綺麗な新緑に囲まれて、澄んだ空気に包まれて。これで青空だったら、もうこれ以上ない心地になるような時期なのですが。
ええ、相変わらずの不調さを抱えて今年は迎えてますわよアタクシ。
自分の状態を考えながら、運気や時期を見つつ動いて行きたいと思っております。
今の時期は私自身にとって0学で観ると まさに 0地点年の0地点月。週明けには日の干支も私の0地点となるので、12年前を思い出しながらちょびっとだけ戦々恐々な心持ちで。
0学と出会ったのは雑誌の特集だった、28年前くらいかしら。
当時0学を学びたくても地方居住だった私には、本部のある東京まで毎月通うことが難しくて。
雑誌や発行本だけのお付き合いだった0学、そうこうしていたら家人の都心勤務が決まってね。あら、0学学ぼうかしらと飛び込んで。すったもんだと、持ち前のルーズさも発揮しつつ、当時は通常2年かけて学ぶ0学も足かけ4年くらいかけた記憶・・・(要するに途中で挫折してサボって、家人にお尻叩かれて復学したってヤツ)。
0学の鑑定士になるなんて考えても居なくて、ただ「ちゃんと学びたい」だけの気持ちだったんだけど、学んだら無条件で鑑定士資格を得ることができたので、そのまま取得して、当時の仕事の片手間でやっていたはずの鑑定がメインの仕事となり、更には講師となって教える側となり、現在に至っておりますが。
当然、私自身の生き方も考え方も0学に当てはめて考えていくことが常となり、指針となり杖となり、柱となり。
納得いかない自分自身も他人の気持ちも、0学で考えれば解けないことがなくなってしまったのでね。
やがて、自分の生い立ちや原点であり憎むべき対象であった肉親や家庭環境なんかにも、理解が出来てしまったことが(納得はしてないけどね、理解は出来てしまったのよね)、一番大きかったかな。私の人生で、一番大きな引っ掛かりと一番理解できなかった私の形成物が呑み込めてしまったからね。
今の私は、何かに追われることが皆無な生活で。
仕事にまつわるスケジュール的な拘束以外は、何にもなくて。
孤独な気持ちだったり、立ち方も解らないのに立って歩いて行かなきゃならなかった辛さだったり、無謀な借金に追われてそのためだけに働いていた頃だったりを、このところよく思い出していて。
今の何もない、けれど不足のないそれなりに満たされている状態や、少しだけ不安にも思えるくらいの自由さに慣れきれていないのかな、ちょこっとだけ戸惑うような気持ちを持ちながら、これにもまた、経済や充実という相性に囲まれていることに納得と感謝の毎日を送っております。
・・・体調不良はねえ・・・ここに越してきたときが私にとっては健康年だったしねぇ・・・。家人メインで生きているから、私のことは後回しにした当然の結果として受けとめている部分と、時期を見て動こうと思って居る次第すわ。
クラウドに預けてる写真見返してて、2013年5月の ひたちなか海浜公園のネモフィラ畑から。
この頃は、ホントあちこち良く出かけてたなあ。まさに、干支一回り前の今月よ・・・。
ここもすっかり有名になった場所よね。ネモフィラの花畑なんて、当時はここくらいしか情報なかったのに、今なんて全国あちこちで見かけられるもんね。
前の0地点時期からの12年を振り返って、0学も含めてホントにいろんなことを知って、発見して、吸収して、考えることを学んだときだった。
さて、50代も半ばになって迎えてるこれからの12年間。
どう転がして、どう転がっていくのやら。
とりあえず今は、流れるまま流されるまま~ それはそれで面白いんだけどね。
困ることもなく、有難く生きていけてるだけで、今はいい。
0コメント