また ね
(今回は長い自分語り。犬の最期の画像もあるので不快な方はどうぞスルーで)
8月最初の木曜日。
この日の夜、長患いしていたダックスが逝きました。
16才と10ヶ月。
秋の誕生日までがんばって欲しかったけど、それは叶わず。
去年の春、ダックスの【うり】は前庭疾患という神経症を発症。
呼吸が浅く、目の視点も合わず眼振(眼球が一定方向に小刻みに動いて止まらない)が続いて、悲痛な叫び声をあげて。
そのとき開いていた動物病院で応急処置してもらって、前提疾患の話を改めて聞いて。
以降はそのときみたいな発作はほとんど起きなくなっていたけれど、同時に認知っぽい状態もはじまって、目も耳も今までのように反応を示すことが格段に減っていった。
たまの粗相も、日に何度かになっていって、おむつ生活もスタート。
するとおむつは気に入っていたのか、大きなおしっこや大をしたら不快さを訴えることはあったけれど、それ以外はつけているほうが うり も安心していたように見えた。
装着しているほうがあったかかったとか、包まれているような安心感があったのかもしれない。
嫌がることなく、そこから最後までおむつにはお世話になった。
子犬の頃からとても従順だった うり は私の呼びかけには必ず尻尾を振りながら走って来ていたのに、それもなくなり、名前を呼ばれることにも無反応になっていった。
今年のあたまにはチビ(チワワの子犬)を家族に迎えたことも うり の負担になるかなーと心配したけれど、チビは うり の寝床で夜は一緒に眠ることを好んだし、うりの耳や顔を舐めて傍に居ることも多かった。
そのおかげか思った以上に うり にはチビの存在は良い刺激になったようで、冬から春にかけては表情が出る日も多くなり、私のもとへおやつをねだりに来る昔からの習慣をすることも増えていた(でも、呼びかけには無反応だけど)。
この頃から うり の乳腺腫が肥大化してきた。
毎朝の消毒と包帯の取り換えも、元来抱っこされることが好きな うり は静かにされるがまま身を預けてくれていた。
コロナ禍であったことも、ずっと犬たちと一緒に居られたから、仕事や家事や外出時以外の私にはつぶさに状態を見ていられたことがとてもラッキーだった。
時折、夜中や未明に悲痛な声を上げることがあって見てみると、夜中に徘徊したついでに壁や家具に挟まったりぶつかって前に進めなくなっての不満のお叫びはあったものの、大きな異変がなかったから、このまま穏やかな老後になっていくかなーと思っていた。
夏になり、ごはんを自力で食べられなくなったり水も受け付けずに寝続けることがちょくちょく。
それでも二日も経てば、ケロッとごはんを平らげたり水をガブガブ飲んではタタタッと少しだけ走ったりして見せていた。
ええ、目は見えていないから壁とこんにちはして「進めねえ」と文句垂れることは何度もあったけどね。都度、私や家人に方向を変えられれば事無くトコトコとまた歩き出す うりだった。
水曜の夜あたりからごはんをまったく食べなくなって、水も口に宛がえば飲むけれど自力で立って飲もうとはしなかった。
木曜の朝も同じ状態だったから、シリンジとシニア用の流動食をネットで注文。
いよいよなのかもな、なんて気はしていた。
このところの痩せ方が顕著だったのと、排泄物を見ていても、なんとなくそんな感じだったから。
それでも木曜は夕方までは何度か、寝返りさせてくれーとか、立たせてくれーとかで書き表せないような声(「ふわ~ん」というような鳴き声)で私は呼ばれていた。
夜もごはん食べないから、明日は流動食届いたらすぐにあげなきゃねーと家人と話していた。
そんな20時過ぎ。
少し甲高めの「ふわ~ん」で呼ばれて「はいはい どうした?」と うりの傍に座ると、微かに消化できていないものを吐いたあと。
家人に汚れたマット(タイル式)を剥がして洗うように渡して、うりを抱き上げて口元を拭いた。
いつものように少し仰向けにすると、視点が定まっていない感じがする。
直感的に、あ、逝くのかなと思った。
まえのダックスの最期のように、排泄物を全部出すのかとおむつを確かめても、ほんの少しのおしっこの跡だけ。
息がだんだん浅く早くなっていく。でも、静かな呼吸で。
見えてはいないだろうけれど、目は私のほうを向けたまま、私の腕の中でうりは呼吸を速めていく。
うり、うり、と抱きながら声をかけていたら、目は私を映したままで、ゆっくりと舌を長く口から垂らした。
あ。
「今 逝こうとしてるよ」「もう最期だよ」という私を横目に、洗面所から洗ったタイルマットを持って家人が足早にベランダへ干しにいく。
さっさと干し終えて、ベランダの戸を閉めながら家人が「え?どういうこと?」「嘘でしょ?」。
腕の中のうりは、目を開けたまま、呼吸を止めた。
ああ、でも目はきっとまだ見えているね。左の眼からは少しだけ涙が出ているみたいだ。
いつもは白く濁ることが多い うりの大きな目は、このとき真っ黒に澄んでいて、私が映っていた。私にはそう見えた。
だらんと垂れてしまった長い舌を、うりの半開きの口の中へ戻してみる。舌がまだ少しあたたかい。スッと口の中に舌は入った。
見開いている真っ黒な瞳。その目を私の手で閉じさせてみるけれど、このときは頑として閉じなかった。閉じてもすぐに開けるを繰り返して、目は開けたままだった。
泣きたくないのに涙と鼻水が勝手に流れてくるのが腹立たしかった。
うりの最期はしっかり目に焼き付けたいから、涙なんかで邪魔されたくないのに。
うりの目に映る最後の私は、泣いていたくないのに。
勝手に憤慨している私に、家人は横からティッシュかタオルかで顔をひと拭いしてくれていた。
家人に うりを抱いてもらう。そっと渡す。
いつもは泣かない人が、腕の中のうりに泣いていた。嘘だろーって。
もう うりは動かなくなっていて、ゆっくりとあたたかさがなくなっていくようだった。
なんだろうか、もちろんこの日も翌日も私はたくさん泣いたのだけれど、思ったほどではなかったというか・・・
たぶん、たぶんだけど、去年の春の発作から私の呼びかけに応えなくなってしまった姿を見たとき私はとても悲しい気持ちになった。それから段階的に、覚悟というのか、うりの時間は少なくなっていくことが解っていたように思う。
1年と少しの間、自分の名前にも反応せず、得意だったこともできなくなり、歩くこともままならなくなった姿を見るたびに、幾度となく私は少しずつ泣いていたから。
今までのうりと、ゆっくりとお別れをしてきたのかもしれないなと思っている。
17年前、私は今よりももっと不完全ないい加減な人間で。
明らかな自分の落ち度から家人を傷つけて別居をしていた頃があった。
ひと悶着もふた悶着も起こして、それでも待っていてくれた家人のもとへ戻ると決めたとき、通っていた歯医者の近くに閉店セールを掲げていたペットショップがあった。
売れ残った形で通りに面したケースにずっと残っていた、チョコタンのダックスの子供。
見るからに栄養状態が悪くてガリガリで、左の眼の上のタンの部分は何故だか大きな瘡蓋を作っていた。
破格の値札がつけられていても売れなかったのは、そのせいだったのかもしれない。
当時、私と家人のもとには5才になるレッドのダックスが居た。
またふたりで暮らすし、子供のようにダックスももう一匹迎えてもいいかもね、とその子を買った。
「この子はあまりごはんを食べません もしかしたら命が短いかもしれません」
「この店は閉店しますが 来月には血統書送りますね」
購入時に店からそんな説明を受けたのを覚えている。
表情が乏しく酷くおとなしいけれど、初日のトイレから成功で失敗がほぼない生後70日くらいだった子犬が うりだった。
ペットショップでの話は嘘かのように、翌日からミルクはがぶ飲み、与えるごはんもおやつも好きなものだけは貪欲にしっかり食べる子だった。とにかくミルクはすごかった。
先代のダックスは うりが大好きで、散歩のときもずっとうりが遅れないようにちゃんと着いてくるようにとずっと面倒を見ていた。
それからすくすく育ったうりは、栄養状態も目に見えて改善していき、瘡蓋も完治した頃には一度産毛がごっそりと抜けて、毛並みもツヤツヤでふわふわの綺麗なダックスになっていた。
多くを訴える子ではなく遠慮気味な子に育ったけれど、いつも私の後をついて回って(その後ろを先代のダックス)、私の30代後半から40代の全部はずっと一緒に居てくれた。
0学鑑定士の勉強中も鑑定士としてデビューして外での鑑定やらでバタバタしていたときもずっと私を見ていてくれた。
滅多に吠えることもなく、来客があればすべてのお客様に玄関先からご挨拶して、鑑定中も静かにお客様の足元で眠りお見送りまでするいい子だった。
お客様の中にはおいでになるたびに、うりにお土産を持ってきてくださる方がたもおられた。
「うりちゃんに会いに来たのよ~」と抱っこしてくださるお客様も居たほどだ。
私の情緒が不安定なときや体調の悪いときも、静かに抱っこさせてくれたまま、いつも一緒に眠ってくれた。
かわいかったなあ。
老いるまで病気一つしない、健康な子だったなあ。
・・・結局、血統書は来なかったな・・・別にいいんだけど。
うりのためのおむつの山と、使わなかった流動食セット。
残ったチワワたちはまだ若いから、しばらくは不要だろうから、もう少し落ち着いたら保護団体さんにでも寄付しようかな。
ねえ、それでいいよね?うり。
ああ、こう書いているだけで、おかーさんはすぐに涙が出てきてしまうわ。
やだねえ、簡単に泣きたくないのに。
もう少ししてから、いろいろと片付けていくね。
とりあえずは、見送れてよかったよ。
亡骸もちゃんと荼毘に伏せた。
先代の犬を見送ったお寺に うりもお願いしに行った。
そのまえに、近くの花屋で思いつくままに花を買って。
花を手に取るたびに涙が溢れたので、レジに並んだ私はきっとマスクしていたとはいえぐちゃぐちゃな顔をしていただろうな。
夏の盛りなので花はトルコキキョウがメインでひまわりとかユリとか。
小さなキキョウを2つ、うりに持たせて。
これは、私とうりが秋の生まれだから。秋の花を入れたかった。
見映えとかぜんぜん考えられず、ただただ顔の周りをたくさんの花で囲みたかった。
少し前に撮った、うりとの写真も添えた。
ありがとう
愛しているよ
そんな言葉を書いて。
片道2時間強と遠方のお寺に到着したころには、うりの箱の中はやさしい花の香りに包まれていた。
先代犬への今年のお参りも緊急事態宣言で先延ばしにしていたから、ついでになってしまったけれどこのとき手を合わせてお話ししてきた。
今年は来るのが遅くなってごめんね。この子もそっちへ行くわ。よろしくね、と。
お寺で見上げた空は鱗雲たなびく夏の色全開で。
翌日には台風の影響で悪天候だったから、この日でよかった。
気持ちがある程度落ち着いて文字にできるのにはどれくらいかかるかな、と思っていたけれど、1週間ちょっとはかかったなあ。
この記事も、涙出てきたり気持ちがまとまらずで何日かけて書いてるんだか。
でもとりあえず、ここでひと区切り。
うり
またね
必ずまた会おう どこかで
0コメント