政治家は「国民のための政治家」。
「線状降水帯」って言葉も、最近作られた気象用語らしいね。
これによってこの夏は、日本海側の北日本が台風以上の雨水害に遭っている。
昨日一昨日くらいからの青森・秋田北部を集中的に降り続いている雨は、半日で例年8月ひと月分以上の雨をもたらしたとニュースで云っていたし、これでは終わらず、この雨はこれから1週間以上続くのだとも云っている。
毎度毎度、こうした天災のあるたびにいち早く触れるのに、非力で恐縮なのですが。
いつも気には留めています。できるだけの在宅での支援をしつつ、落ち着いたら必ずまたお金落としに訪れます。
どうか、みなさま、ご無事でおられますよう。
大雨の被害が今のところはなくとも、こちらはこちらで日々の酷暑でくたばってしまいそう。
幸いなことに毎日外に出て汗だくになる生活ではなくとも、日々何かしらの不調を抱えつつ、家人の熱中症ダウンなども経て、何とか生き延びております。
さて。
内閣改造ですって。今日。
前の総理が狙撃されて1ヶ月。
犯人と前の首相が0地点相性同士であったので、納得の事件であったことを書こうかと思いましたが、今日は組閣なんかも交える話で。
岸田総理は 鷲座の月王星。
支配星:魚王星の特徴である、他者軸の言動となる星。他者の心情が理解できるからこそのブレなんかもありがちで、それは他から見れば「優柔不断」「日和見」「強い力にまかれてしまう弱さ」などと思われがちなタイプ。鷲座性質もあるため、物事の全体を見渡す力もあり、世間一般の評価にも耳を傾ける一面も。前首相のようなお友達内閣にはせずとも、少数の頼れる腹心は常に傍に置いて相談しつつ進める人。一度決めたことや自身の信条があればそれに従って行きたいとする真っ直ぐさもあるんだろうな。
自分の偏りが他者から見てのバランスの悪さとなることが嫌なので、今回の組閣でも各派閥万遍なく取り入れているように見えます。
今回の某宗教との繋がりも、入閣した大臣たちが後々に判明した場合はキッチリ責任取らせるから、前もって自分でチェックしとけよ!ってやり方には批判もありますが、まあこの星の責任者の取るやり方なんだろうなーと思っております。
ある意味の「自浄作用を求めておく」やり方。当たり前の自己責任を持たせて、事前通告しておくから、身に覚えあるなら指名されても辞退しろよ、というね。
前首相のように「お友達だからなんでもあり!」「バレたら一緒に逆切れしてバックレてやるよ!」ではないように、私には映りました。
まあでも、前の首相のように陽気さや社交性に長けてはいないので、前首相が「陽」のイメージなら現首相は「陰」とは云わずとも「静」や「無音」な、頼りなげな感じもしますよね。
まあこれは、元来の人の上に立つ性質ではなく、皆が平等でバランスよく居たいとする星の性質に由来するのかもしれません。
しかし自民党も二世・三世の世襲政治家が多いですよねー。
岸田首相自身もそうだし、某宗教と政治家との太いパイプを作るきっかけとなった戦後すぐの政治家を祖父に持ち、血筋だけで能力関係なくぬくぬくと職業政治家三代目の椅子でふんぞり返っていた前首相や、同じく血筋だけでの三代目で記者会見ですっとぼけた群馬地盤の福田達夫・自民党前総務会長とか。同じく群馬地盤で、故・中曽根康弘の時代から某宗教も含めての韓国とのパイプの強ーい、血筋だけで実績は謎なのに「自分も入閣したい」と手を挙げていた中曽根弘文と、その息子で大学時代からの異性への奔放さも噂される中曽根康隆・・・いや、調べてるとキリがないし、呆れるばかりなんですけどね。
そして今回の組閣にも、鈴木俊一、浜田靖一、河野太郎などの世襲政治家がまたしっかりと組み込まれています。
二世・三世の世襲政治家すべてが「悪」とは云いませんが、見ている限りでは・・・無能と思えてしまう人たちが多いのも実。
生まれながらにして「政治家の道を歩む子供」として育てられるので、苦労がなかったり、まず金銭的困難は皆無なので一般庶民の感覚はほぼないでしょう。
そんな人たちがこの国を治める側にたくさん立っているなんてねー。「おまえらにわしらの日常が解るのか!」と怒鳴ってしまいたくなることが、ほんと多かったわー前首相のときは特に。
そんなこともあるので、0学で一番の庶民肌とされる0星・である月王星(月星/魚王星)の首長には期待したい部分もあるのですが・・・ 如何せん、発信が弱い。
戦後の高度経済成長期のように、人々はまだ情報には弱者で、「何もないところから生きていく」時代背景でなら、前首相の星のように旗を振って自ら力強く推し進めていき、多少手を汚しても結果的に成長や進歩があればOK!だったのです。(0学の「連山易時代」の背景)
今はそんな時代ではなく、あの頃から比べるとあからさまに国民の生活には貧富の差が大きく開き、人々にも知恵がつき、情報にも溢れている時代。(同「帰蔵易時代」)
時代が変わったので、求められるリーダー像も変わります。
今注目されている、現・明石市市長も0星・は月王星。
明石市は、関西で「子育てしたい町」「暮らしたい町」の1位誇る、子供と弱者にやさしい市政で有名です。
暴言等でトラブルを経ながらも責任を取り辞任→再選挙で再当選した市長。
兄弟に身障者がおられたり弁護士の経歴もある明石市長の執る市政は、今、全国的にも注目されつつありますよね。
貧富の差によって、強者と弱者なら弱者のほうが数では遥かに多くなっていく今。
リーダーとされる人たちには、弱者目線や庶民・一般的な国民目線や価値が求められていきます。
右向け右の「皆同じ」(例えば「一億総中流」のように、皆が同じくらいの中流な生活を目指すなどの価値観)ことが良しとされた生き方だったのも、これだけ貧富の差が付き、知識が付いた私たち一般人に、今更「一億総中流」と云われても・・・ねえ。
これから上に立つ人たちは、自己保身や自分のことだけを考えるような人ではダメで、言葉だけでも上っ面だけでも(とりあえずはね)、「民のため」「弱い人のため」を唱えていることが大切になります。
そして情報が多いので、言動一致しているのか、不一致なのかはすぐに見抜かれます。
なので、言葉だけでなく、行動としても「一般人目線」「国民のため」が体現されていることが大切になっていくのでしょう。
今の時代背景が「大きくなくとも様々な大きさや形のコミュニティ」や「多様性を認める懐の深さ」が求められます。生産性よりも融通性や利便性。新たなものを生み出す力はもうなくて(前時代「連山易」で作り出された)「素」をいろいろな形やシーンで作り替えて、複合的に、又は多面的に再生させていける力で生きていく時代。
それが表されている「SDGs(持続可能な開発目標)」という言葉がまさにそれ。
17の項目の中に、リユース、リニューアルなど「再生させ利用する」が盛り込まれています。
そして、多様性を認めていくという面では「LGBTq」という言葉。
単に「いろんな性癖・性愛の形がある」で片づけてしまわないように。
そこから派生させていけば、「結婚」という制度1つにしても、今までの「家と家との結婚」という価値観や、当人たち以外の柵(しがらみ)に当然のように捉われる繋がりの結婚である必要はなく、今まで以上に個性が尊重されていくべきであり、結婚の形も「結婚」という制度に捉われることのないパートナーシップも当然尊重されるし、今の日本ではなかなか進まない「同性婚」や「夫婦別姓」を結婚の選択肢に入れることも「多様化」の1つとして組み込んでいくべきなんじゃないかと、個人的には思ってます。
「男と女で子を為す」ことが当然なんて、某宗教と繋がりの強かった政治家が未だにのたまわってたりしますが、「多様化を認める」生き方で考えれば、「各々のしあわせの形や価値観は各々のもの」。
「男と女がいれば必ずしも子が為される」とも限らないし、「異性のパートナーとの生活は苦痛」な人だって居るし、「子供は持たない」考えの人たちだって居る。これらは善し悪しではありません。善し悪しで計るのは、これまでの一般論に捉われているだけの古い頭なのかもしれないし、それこそ「アダムとイブ思想」の宗教の考えだったりします。
「男+女=子供が家庭」を「自然の摂理」というなら、男でも女でもない人、心と体が相反している人、両方の性別を超えている人たちを何と説明するんだろう。「おかしな人」とかで括るだけなら、単に狭い了見の人としか思えない・・・。
同性婚でも養子縁組や体外受精等で子を持ってしあわせにしている家庭だって幾らでもあります。
私は違うけど、そういう考えやそういう生き方もあるのね。
それだけの気持ちでいいんですよ。それが他者を尊重し認める気持ち。
今までの政府与党は、とかく「別姓反対」「同性婚反対」が際立っていて、結局裏には某宗教の考え方が蔓延っていたとも云われています(いや、自民党とズルズルベッタリの公明党も、立派な創価学会という宗教ですけどね)。
多様化を認めるということは、宗教的な考え(男女は別、という古い考えが多いから)は切り離して考えるべきなのかもね。
私は無宗教ですが、宗教自体には賛否はないですよ。
宗教をホントに心の拠り所として成り立っている人だって大勢いるのだから。
昔々の、隠れキリシタンたちのようにね。信仰が生きる希望であることだってあることは認めていますから。カルトは別ね。
まだまだ書きたいけど、とりあえずここまで。
内閣改造の記者会見がはじまったわ。
・・・しかし、しぶとくデジタル化からは程遠い年代の爺様大臣が入っているなあ・・・
コロナ禍、首都圏よりも地方のほうが陽性判明が増加率大になってきてますね。
京都大学等の発表で、「持続感染」という言葉も出てきています。
インフルエンザとはまったく違って、一度コロナに罹患すると体内に弱体化しつつもウイルスが残って、臓器にまで達してからまた再発するケースが増えているとか:これを、後遺症と捉えている面もあるのだそうです。
罹患して治ったつもりでも、体内で臓器や最悪は脳へも達することもあるとか。
罹らずに越したことはないですが、これだけ流行っていると防ぎようのないこともありますよね。
でも、できるだけの予防とケアは続けて過ごしてまいりましょう。
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