本格的な冬のはじまり、と
12月。
さほどサッカー熱もない私。
かといって、世間のお祭り騒ぎを非難する気は更々ないですが、テレビなんかで「仕事辞めて 全部投げ出して早々にカタール入りした。 今回のワールドカップの日本戦を全部カタールで見届けたら 世界一周の旅に出る」と云っていた人には、すごいなーがんばれーとエールを送りたい気持ちにはなった。
すべてを投げ打ってでも それに懸けたい という情熱。
いいなあ、うらやましいなあ。
年齢の所為ではなく、私は今までを振り返っても、そんな情熱を燃やしたことって何かあったのかなー・・・なきゃいけないものでもないけれど、なんだかそんな風に今生きている姿に、漠然といいなあと感じておりました。
ルールを侵さず、誰にも迷惑をかけなければ、何してもいいんだよ。
自分の人生なんだから、自分がやりたいことをやれるときにやっておけばいい。
先々を後悔しそうなら、後悔しないと決断できない限りはすべきじゃないけど、大丈夫そうなら、何とかなるよと思えるなら、飛び込んで行ってしまう行動力があるのはとても素晴らしいことよね。
今夜もきっと、にわかでも長年でもサッカー熱の高い人たちが賑わうんだろう。
私はきっとさっさと寝て、明日の朝結果を知ろうとするんだろうけど←結果は知っておきたい人。
***
会いに行きたい、この肉眼で記憶に生で留めたいと思う木というのが、日本全国に幾つかある。
それらは情報番組だったりインスタだったり雑誌だったりと、何かしらで知り興味を持った木。
そのうちの1本に、会いに行ってきた。
朝5時半に家を出て、首都高と東名高速が混んでくる前になんとか首都圏を抜けて午前中には到着しておきたかった、愛知県豊川市。
大和の大いちょう。
上のほうの少し葉のないところは、数年前の台風による塩害で枯れてしまったそう。でもここまで復活したんだと、愛知の誰かがブログに書いていた。
うわぁ~・・・
近づくにつれて、顔がニヤけてくる。
ずっと会いたかった。やっと会えた。
日本のイチョウの木って、ほとんどがこうした手植えなんだそう。
大昔の人たちが植えたのか。たまたま飛んできた種から発芽したのだとしても、この木は綺麗に手入れされて育ってきたようだ。
自生のイチョウの日本一大きく古い木は、青森にある。
その木にはまだ会いに行けていないけど、もっと表面にコブがたくさんできていて(乳垂れと云われることも)野性味がすごいから。こんなにスッキリしていない。
どっちが好きとか嫌いとかではなくて、この木はこの木で今出来上がっているフォルムはとっても素晴らしいよね。
木の下に入ると、ふんわりと木に包まれるような感覚。
表皮に手のひらを合わせてみて、ほんのりと温かくも感じる。
木のある広場、隣は保育所で賑やかな子供たちの声が響いていた。
広場の遊具で遊ぶ、近所で暮らしているらしき子たちも。
なんだかいいよね。
こんなに大きな木をいつも眺めながら生活できている人たち。
根無し草な自分の半生をぼんやりと振り返ったりしつつ←暗くはなっていないのよ、ええのぅ、根っこの場所があって、という薄らぼんやりした思いね。
根無し草でも、根っこの場所はなくても、今とりあえず腰を据えていられる場所があって、少ない数でも家族が居て、家族同然の犬らが居て。
寂しくないし、それどころか日々楽しんで居られるから、それはきっとしあわせなんだろう。
この日のように、思い立ったらすぐに車を出して、片道300kmくらいの日帰り往復旅にもフラッと行けるしね。
さあ、イチョウの葉が落ちれば本格的な冬。
また暖かくなった頃、街や花や木に会いに行く旅をしたいなあ ←有名観光地とかには全然興味のないアタクシ
体調に気を付けて、暖かくして過ごしてまいりましょ。
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