1月なのに あったかい日が続いてますが
やっと。やっとよ。
体調が戻って来てる感じ。
大声で歌えて、朝もちゃんと起きられて。
あれやこれやと家事もやろうと思えるような。
ホントに酷かったのよ。
絶不調のとき、何一つ、できなかったやろうとすら思えなかった。
・・・でもちょっと待て、自分。
今年よ。0地点期。
去年の背信期で不具合不快感を出し切ってりゃいいけれど、またあれくらいの「不」がやってこないとも言い切れず。
・・・ま、でもこの現在の世の中で、以前のように無防備に遊びに出まくるなんてことは出来なくなってる(私がね)から、「気を付けよー」しかないんだけれども。
不調期は、自分がどうこうではなく向こうから勝手にやって来やがる(言葉悪)のでね。
昔むかしから、私は自分が長生きすることが描けなくてさ。なんだろ、成長過程の環境の悪さから基本的に前向きさは少ない人間に仕上がってはいるんだけれど、「生きる」ということへの意欲もそんなになくて、意味を求めても「生まれれば死ぬまでを生きるだけのこと」なんて哲学的でもある思いしかないのよね、昔から。
私が自分の子供を産み育てることが子供の頃から描けなかったのも、たぶん起因しているのは同じところなのかもしれないけれど。
(でも子供好きよ~ 成長見てるだけでも、お話したり触れるのも大好き)
ああでも別に、これみんな私だけの話で、他の人が意欲的に・貪欲に・楽しさや生きがいを追求する生き方であってもそれを否定するものではないんですよ。ホントに。
私が、というだけね。
実際、一緒に居る家人はとてもポジティブで意欲的な思いで生きてる人だし。
だからかな、0学を学ぶずっと以前、家人と出会う前から理由もなく漠然と「(私は)55歳くらいで『生きる』を終えたいなあ」と思っていた。
いや、だからって自分から命を絶つなんて度胸も内向的な気持ちもないから自ら実行することはまずないことは断言できるんだけど。
ふと、寝込んでた先日、そんなことを思っていたなあと思い出していてさ。
「55歳」って・・・あら、来年誕生日来たら55じゃん。って思ったのよね。
・・・どうなるんだろ、って。漠然と、楽しみ・・・・?不安・・・?ではないかな、なんとなく55歳から先を描いたことがなかったから、とりあえずは0地点の今年を淡々と生きてから、また考えようと思った今日この頃。
一昨年から教え子さんを3名抱えていて。
去秋に1名、先月1名、なんとかかんとか鑑定士として巣立たせることが出来て。
あとおひとりが、来月で授業終わるのね。この方は私の体調不良で、当初の予定よりも長引いでしまったのだけれど。
それを無事に見送ったら・・・ 自分からは何もしない期間をちょっと過ごしてみようと思っているところ。
あ、鑑定や授業はご要望に応じて受けさせていただきますので変わりなしですよ。
合格された生徒さんからいただきました♡
ありがとう!
これから がんばっていかれてくださいね!
***
そういや昨日、お隣の八潮市の交差点で大きな陥没事故。
この事故からも、事故原因から私の暮らす土地についてもいろいろ調べたりして、考えさせられることもあったり。
この辺りはとても新しい街なんだけどね。インフラとか全部が。
でもなんでそれまで拓かれていなかったのか、都心に近いのにーーーーって理由が分かった一日で。感慨深かった。
未だに穴に落ちてしまったダンプカーの運転手さんが救出されていない様子で。ただご無事を祈るばかりです。
0コメント