思い出したことを、ちょこっと。
今日は広島の原爆の日。
ふと、昔のことを思い出した。
昔・・・もう30年以上前になるのか。
バイト先で一緒だった2つ年上の女の子が居て。
よくシフトが合って仲良しになって、一緒にごはん行ったりしてた子。
彼女は広島出身で名古屋の大学に通っていたリケジョ。
そのバイト先を私が辞めて何ヶ月か経った後に、彼女から電話が来た。
たぶんあれは家電だった記憶(時代だね)。
恋人ができた。
既に深い関係になっていて、彼のことがとても大好きで。
ふたりで先のことまで考えるようになっている。
このまま付き合えば卒業してすぐに結婚になるのかも。
その割に声がうれしそうではなかったから、よかったじゃん、どうしたの?何かあるの?と尋ねたら、
自分は「母方の祖母が被爆した原爆3世だから、本当のことを彼に告げたら全部だめになってしまうかもしれなくて怖い」。
二十歳そこそこの当時の私が、彼女になんと答えたのかまでは覚えていない。
でも、彼女がその話をしていたとき、受話器から聞こえる声が泣いているような感じだったのは、結構 鮮明に覚えている。
以降は連絡を取らなくなってしまったので、結末は知らないけれど。
その話から私は、広島・長崎の原爆投下を意識し出して。
延いては沖縄戦から大戦時の日本軍(大東亜戦争時の傲り腐った姿勢など)のことなんかをちょっと掘り下げて知っていくようになった気がする。
「ちゃんとした」家、「一般的(とされる)な」家と繋がっていくとなると、当時は(今も?まだ?)被爆者家系は充分な差別対象になっていた。
・・・たぶん、私の生い立ちや家系も、「ちゃんとした」「一般的な」家の人から見れば、全然その(差別の)対象になったんだろうけどね。別の意味で。
だから彼女の云っていることはすぐに理解できたし、彼女自身、すべてに自信を持って生きているタイプの子だったので、彼女の(誰の)所為でもない不可抗力な理由で 好きな人との仲を裂かれてしまうことは、彼女のプライドも許さなかっただろうし、「怖い」という言葉も納得できた。
日本人はホント、どのシーンでも 差別好きだよなあ。昔も今も。
たまたま そっち側じゃなかったってだけの人間が、勝手に区別という線引きをして勝手に差別して勝手に侮蔑する。
何様だよ。
・・・そういう私も同じ日本人、無意識下で そうなってしまわないよう気をつけなきゃね。
今年は日本放送協会も終戦にちなんだ特番は少なそうだなあ。
年を追うごとに減っている気がする。さすがに終戦から80年だもんなぁ。
「忘れちゃいけない」「繋いでいかなきゃ」なんて、外側に声高に云う気もつもりもないけれど。
自分の中でだけは知っていて覚えていたいこと。
我が家に居たダックスたちが逝って12年目と4年目の夏。
今年は りんどう を飾っていたけれど、早々に枯れてきたので花だけ切って器に入れた。
昨日に続いて今日も信じられないくらいの酷暑が続いて。
世間では熊とか猪とかサルとかカニとか、田んぼが干上がってるとか、
百日咳と同時にコロナも13波とか云ってるし。
道路もあちこちでしょっちゅう陥没してるし。
もう以前のように何も気にせず安心して外で過ごせることってないのかなぁ。
ご自愛ください。
***追記***
1つ前の記事で書いたことの付け足しで。
0学の鑑定士は、令号(名前に「令」「れい」「レイ」などが付く認定された称号)を使って鑑定していく場合、0学以外を用いることが禁じられています。
(0学鑑定士であること=令号を持っていること)
そのため、私も元来はタロットを使う人なのですが、「志野令教」を名乗って鑑定している限りは0学のみでの鑑定を行わねばルール違反となってしまいます。
(0学で観て、私の支配星が「占い」などの当てもの、見えないものを見て断定することをタブーとしているのでそこは合点がいってるんですけどね)
そのため、このサイトで「志野令教」を名乗っている以上はタロットの詳細ネタも書けず、タロット推しもできません。
鑑定時にまた、お尋ねくださいね。
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